山形県は、さくらんぼの生産量が全国一です。
そして、山形県産のさくらんぼの代表格と言えば、「佐藤錦」!
この佐藤錦、一体どのような経緯で誕生したのでしょうか?
なぜ、「佐藤錦」という名前なのでしょうか?
今回は、山形さくらんぼの代名詞である「佐藤錦」のルーツをお話しします。
さくらんぼの悩みを解消した佐藤錦
そもそも佐藤錦は、山形県東根市の篤農家、佐藤栄助氏が生み出した品種になります。
開発者の名前が、品種名の由来になっているのです。
食べ物に開発者の名前をつけるのは、珍しいことではありません。
そして、研究を重ねたきっかけは、昔のさくらんぼの品種的な悩みが関係していました。
現在のさくらんぼの佐藤錦を始めとする品種の多くは、日持ちができて美味しいというのが一般的です。
しかし、昔のさくらんぼの生産が始められた時代では、長期移動に耐えられる品種がありません。
そのため、山形県以外の人に美味しいさくらんぼを食べてもらう、ということが難しかったのです。
この問題点を解消するために、品種改良を始めたのです。
私たちが当たり前のように食べているさくらんぼ。
全国各地に流通できるようになったのは、最初からではありません。
佐藤錦は、長い研究と努力の下で生まれた結晶になるでしょう。
開発には、16年もの歳月がかかっています。
長年の努力を、私たちは忘れてはいけないのです。
山形さくらんぼ「佐藤錦」の小話
初めに、佐藤錦の名前のルーツは、開発者の名前であることをお話ししました。
これには、ちょっとした小話があるのです。
ここでは、少し話が違っていれば、新品種のさくらんぼが「佐藤錦」でなかった可能性がある話をしましょう。
当時、佐藤氏の他に岡田東作氏という、一緒にさくらんぼに情熱を注いだ人がいました。
佐藤錦が誕生した際、当初佐藤氏は「出羽錦」という名前を候補として挙げたのです。
この名前が採用されていた場合、もしかすると、私たちの呼び名が変わっていたかもしれません。
ですが、この案に岡田氏が反対したのです。
岡田氏はその時、「発見者の名前を入れた佐藤錦が良い」と発言したのです。
この話を聞くと、二人の関係性にも思いを寄せることができるでしょう。
品種の名前は、農家さんや専門家の人が真剣に考えてると思ってしまいます。
ですが、きっかけは些細な会話からだったことが伺えるでしょう。
まとめ
山形さくらんぼの代名詞である佐藤錦は、16年の歳月をかけて誕生しました。
山形県民にとっては、フルーツの代表格とも言えるでしょう。
そもそものきっかけは、長期移動でも耐えられる、傷まないさくらんぼの開発にあります。
全国で美味しいさくらんぼが食べられるようになったのも、佐藤錦の開発のおかげです。
多くの品種の礎となったということを、是非知っておいてくださいね!